国際交流研究科 国際交流専攻

教授

上田 昇 Ueda Noboru

仏教論理学

研究分野を尋ねられて、「仏教論理学」と答えると大概の人が「はぁ?」といった感じになるようです(以前、ある原稿に「仏教論理学」と書いたら、「仏教倫理学」に書き直されていたことがありました)。もう少し正確に言うと、古代インドの論理学で特に仏教僧が熱弁を振るった分野ということになります。玄奘三蔵がインドから持ち帰り翻訳したあるコンパクトな論書を基に、まさに「基」という弟子が解説した書物が基本書となって中国・朝鮮・日本の論理学研究が出発しました。この分野は因明と呼ばれ、例えば法隆寺や興福寺などで主に唯識学の研究に付随して研究されてきました。 明治になって西洋の論理学に触れて、日本は大いにその感化を受けたようです。事実、旧制高等学校では広く論理学が講義されました(必修だったと聞いています)。因明学者もまた積極的にこれを取り入れ、因明と西洋伝来の論理学との比較を試みたりしました。まさにその同じころ、西洋では従来の論理学とは異質とも言うべき論理学が生まれてきました。この新たな論理学は、数学を背景に持っており、極めて形式性が高く、日常言語というより記号(アルファベットなどのシンボル)を運用して研究が行われるため、記号論理学とも呼ばれます。この分野の研究は現在では、哲学のみならず、数学や情報学の分野などでまさしくworldwide に行われています。

私の研究分野をさらに狭く言いますと、唯識学派の学僧ディグナーガ(陳那、6世紀頃)のアポーハ論の記号論理学的解明ということになります。アポーハ論の宗教・思想史的な意味や展開についてはさておき、アポーハ論の創始者たるディグナーガは言語哲学的な議論を展開しています(「言葉の意味は<他の排除(アポーハ)>である」というのがアポーハ論の基本命題です)。それをどのように理解することが適切か、なかなか困難なシロモノです。玄奘がアポーハ論に関する論書を翻訳しなかったため、それは東アジアの仏教圏には因明のようには伝わりませんでした。チベット仏教のみがアポーハ論の伝統を伝えてきました。 宗教を狭く捉えると、「仏教論理学」は「仏教徒の考えた論理学」の意味でしかなくなり、私は仏教を研究しているとは言えないでしょう。しかし、私は仏教とは何か、宗教とは何かを考える上で、大いに「仏教論理学」から学び取れるものがあるだろうと思っています。宇宙に電波を発信して、宇宙のかなたの存在に地球人のことを知らせる試みがあるそうですが、千五百年の昔にディグナーガが発したメッセージを受け取ること、これが私の夢であると言えます。